古典というもの

古典というものは、当たり前なのだが往々にして避けられがちだ。
説教臭いし、目新しさもない。
つらつらとよく飽きもせず、当たり前のことを垂れ流せるものだと感じるものだ。

今年読んだ本の中に、この古典に当たるような本が2冊あった。

ベンジャミン・フランクリン自伝

本多静六-私の財産告白

調べてから気づいたが二冊とも、晩年に書き上げられた死に間際の著作となる。

こういった説教臭い古典は、今までの僕なら途中で読むのを辞めていた可能性があるものだが、
どうしてか染み入るような想いで、読むことになった。

なぜ楽しく読めたのだろう、そういう疑問が頭をよぎって仕方がなかった。

 

こういった普遍的かつ永久的な人間社会における法則は、経験してみないとわからないものであるのかもしれない。

本多静六は、次のように言っている。

「失敗無きを誇るなかれ。必ず前途に危険あり。失敗を悲しむなかれ、失敗は成功の母なり。禍を転じて、服となさ場、必ず前途に堅実なる飛躍がある」

いかにも古典臭い説教じみた文言だが、なるほどと思うことがあった。

僕は、自分で招いた失敗や環境に強いられた失敗、多くの失敗をしてきた。

特に大学を卒業してからの失敗の数は恥ずかしいほどのものだと思う。

自分で身を持って経験したからこそ、「ほほう」と感心するものが多かったのかもしれない・・・

失敗が多いのはチャレンジが多いからで、そのたびにトライ・アンド・エラーが発生するとも言える。

フィードバックにどのように対処するか。

とりあえず、やってみようという感じだ。

 

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